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なんだか、思うことは「おもう」ことが強いひとばかりに会っていて、そのひとたちの「おもい」の行き場のなさを導いてあげるのが今の「編集」という仕事の醍醐味なのではないかという謎の解釈をしているように思う。
今会う方々は才能があって、熱意もあって、欲もあって、だったら「名前が売れる」ひとになれる素養があるではないか、ということになるけれども、その道を本人が無意識にストップさせているという状況を見ている。 でも、でもでも、それはすごく、まっとうなことで、幸せな人と一緒にいる証拠なんではないかと思う。 だって、だって、その人たちは名前を世に出すなんて、だいぶんな犠牲を伴うことを知っていて、でも、本当は自分を認めてほしくて、でも、でもでも、すべてをなげうつ「入れ物」になるリスクを知っている。 だから、ちょうどいいバランスで、自分を表現したいんだな、と思う。 そして、その表現を楽しんでくれる場所がちゃんとあるし、その場所で楽しんでくれるひとたちのために、私はほどよい喜びを提供したいと思う。 ほどよい、という最上の、極上の形容詞を認識しながら。 この、表現の仕方を何と言われようと今私は美しい景色を見ているし、今までできなかったことをやれていて、愛すべき人物たちに出会えることができた。 さて、誰でしょう。 答えは・・・3年後! #
by kaoryann
| 2013-10-29 02:02
| つれづれ
横浜在住4年目にしてまだ外人墓地に行ったことがなかった。
なぜなら、ネットに出ている写真や資料を見るほうが、要領よく概要を知れるからである。 しかしながら、魔がさして? 「そうだ、墓地へ行こう」といきり立ち、東急東横線、元町中華街駅へ。 元町口(6番)を出たらすぐ「アメリカ山公園」に。 アメリカ人が住むはずだったけど、「やっぱやめた」から公園になったのだそう 昼下がり、小高い丘の上、ひゅう、と吹く風が心地よい。 こぎれいに整備された公園を抜け、横浜地上気象台へ。 津波が来ても大丈夫そうな場所。 このカンカン照りの中、なぜ「墓地」に惹かれたのだろうか。もしかすると、木陰が多い、などのイメージからちょっと避暑地的な場所に出かけるという想像に、脳内ですり替えられてしまったのかもしれない。安易というか、若干故障気味である。 入り口で墓地維持(管理費)のために200円以上寄付する。 ちなみに、横浜外人墓地の一般公開は、毎年3月から12月まで、毎週土・日・祭日、正午から16時までなのだそう。ちなみに雨だと公開しないらしい。 入り口で、墓地MAPを配布されるのだが、墓石の文字を判読することができず、しばらく叢の中を分け入って目を凝らしたり位置関係を把握したりしようとしたが、ギブアップ。 「この偉業を成し遂げたお方の墓はこんなデザインなのか」と感心するつもりだったが、とにかく俯瞰に徹することにする。 涼しげな場所。蚊が多い。このへんに「最初の外国出身落語家」がいるとのことで、必死に探したが断念。 マリアさまや・・・ クリスマスの飾り!? 大理石ネコベンチなどちょっとワンダー。 ぐるっとまわって入り口付近。ここ、一番すがすがしそうだ。 「海が見える場所に墓地をつくりたまえ」といったペリー殿、なかなか横暴そうに言われているけど、私が日本に来たばっかで死んだ外人だったらちょっとうれしいかもしれないな。 資料館で、「横浜発祥」シリーズに「牛乳」がラインアップされていたことに衝撃を受けつつ、墓地をあとに。 港の見える丘公園。港だ。本牧の突堤が見える。 フランス山公園にある「愛の母子像」。緑区に米軍機が墜落した際、犠牲になってしまった親子を弔う。 千羽鶴は、まだ新しい様子だった。 山手外人墓地にいる、シドモア氏。ワシントンに桜を持って行った方。 というわけで、初! 中華街の「喫茶ブラジル」で、一休みをし、帰宅。 こんなふうに、一日ぶらっと散歩をして体を動かし、風呂に入って体をこすって汗を流す、その循環を狂おしく求めていたんだな、としみじみ思う。なんだか、誰かがリモコンで私を操っているのではないか、と思うくらい体に正直な一日だった。 三十路女の夏、体と心のリペアシステムに驚愕。 横浜外人墓地 http://www.yfgc-japan.com/index.html #
by kaoryann
| 2013-08-19 01:03
| つれづれ
ぐるぐる、ぴゅうぴゅうと過ぎ去っていく時間、そして場所、いや、心無く立ち寄ってはすぐさま立ち去っていくような、めまぐるしさ。
これでも、7ヶ月ほど前よりはなぜか、自分がすこし頑丈になっていて、こう、中心でぐらぐらしている自分を、必死に、四方からぎゅうぎゅうと支える助っ人のようなものを得た心持ちである。 これはよかったのか悪かったのか。 真夏日の昼下がり、かんかん照りのもと、ゆらゆらとベランダでゆれる洗濯物などをみつめ、ほっと、全身で気持ち良さを感じている。 これはなんなのだろう。 本当に、こうして胸をなでおろすように「すとん」と自分のままでいられる時間が久しぶり・・・2年ぶりなのではないだろうかと思う。 まだまだ完全ではないが、自分の巣(すみかだけではなく体も)自分の手で整え、そして静かに眠り、目覚め、外を見つめる。 渇いた喉をうるおすため、透明な水をごくごくと飲むように、しみわたるような心地で、「この時間を狂おしく求めていたんだ」と体に言われた。 こうして意識がうすれそうになるほど外の世界をかけまわる生活のあいま、ふっとゆるめたこの時間の気持ちよさ。不思議なことに、仕事をしているほうが、体調がいい。去年のぬるく、ふわふわと表面だけを生きていた、あの生殺しの時間、いや、それはそれでよかったんだけど、少し恐ろしい。全身から発疹したり、熱を出したり、へなへなと力が抜けていくような感覚を味わったことは初めてだ。 一緒に生きていく人をふりきってしまい、もうこれはどうしようもないのかもしれないけど、私は世界と自分自身しか愛していないようだし、いい加減・・・。 変えるなら自分ひとりの力しかないのは知っているのだが、まだ立ち上がることができないし、まだ中心がぐらぐらしていることに変わりはない。 流れのようなものが来て、私が私として生きやすい環境を作れるように、あと・・・どれくらいかかるだろう。目指す先を決めること・・・それを、とりあえず、やってみようかと思う。 このどうしようもない自己愛でがんじがらめっぽい感じ、どうにかしたほうがよかろうよ! #
by kaoryann
| 2013-08-18 12:26
| つれづれ
(C)Hiroyuki Kinoshita あれは200年ほど前のこと。 わたしはある夫婦のもとで幸せに暮らしていた。 寒い日にはあたたかい毛布にくるまって眠り、むせかえるような暑さの日にはうちわでそよそよと風を送ってもらい、暖かい春の日にはひなたで目をほそめて笑う夫婦に頭をなぜてもらった。 夫の頭にはまばらに白いものがまざっていたが、毎日朝早くから町へ出てゆき、日が暮れると家へ帰ってたくさん飯を食い、いびきをかいてよく眠った。 妻はよく笑う女だった。夫は町で起こった沙汰を冗談めかして話す。妻は笑う。夫は身振り手振りを大げさにつくり、また冗談を言う。女は腹をかかえて笑う。茶碗が割れる。茶がこぼれる。割れた茶碗をふんづける。流血する。二人は気にもとめず笑いつづけた。流れた赤い血のしみは、長い暮らしの中でうすれていった。 妻がこまめに部屋の掃除をし、せかせかと家の中を歩き回る。わたしもあとをついて回る。ぺたぺたとあしあとをつけるわたしを見て妻はまた笑い、わたしも笑った。妻は日がな部屋を掃除する。日が暮れると飯をたく。夫が帰る。みな笑う。みな眠る。二人のもものあいだはとてもあたたかく、わたしは溶けるように眠りにおちた。 ある日、夫は町へ向かう道とは反対の方向へ向かい、妻に「行ってくるよ」と背を向けた。丸くなった夫の背中は普段と何ら変わりない憂愁をたたえていたが、妻はどうにも心もとない気持ちになった。背中の上の空気がいつもと同じならば心配する由はない。しかしながら「違う」のだ。「違う」ことがあまりないので、妻は心中おだたかではないまま、 「行ってらっしゃい」 と大きな声を出し、笑顔を忘れていたことを思い出して口角を思い切り上げた。 妻はもやもやした心臓をもてあましたまま床を磨く。ふと手を止め窓の外をぼんやりと見る。冬枯れた木々から射す木漏れ日に目を細め、もうすぐそこに来ている春を想った。ふわふわとしたネコヤナギの花穂はきらきら輝いている。凍っていた小川の流れる音が聞こえる。 ああ、そうか。 女はするりと着物を脱ぎ、ふうう、と大きな息を吸った。 戸の隙間や窓辺から白い光がいくつもやってくる。男の形をした光が女の手を取る。 この世にとどまることができなくなった二人の御霊はしゅるり、とひとつの塊となってより大きな光を放っていた。 さて、わたしはまだひとり、いったい人間なんだか犬なんだか猫なんだか、知ったところではないが、あの夫婦のいたぬくみだけをたしかに、今日もさまよふ。 #
by kaoryann
| 2013-01-05 12:30
| いまじん
大気中の湿度は日に日に下がり、ほどよくかさかさと、ぴしっとしまった空気になってきているが。
今さらながら、30代に入った、というスタートのタイミングでいままでの自分をとりまく人々とのかかわりを一気に総括しだした。アタマから湯気が立ちのぼっていくような気分だ。銭湯の壁にそれとなく描かれている温泉のマークみたいな、あんなかんじでむわむわと。 「20代のおわり」に「ふりかえって」いるのではなく、 「30代のはじめ」に「自然と思い返された」 ところがいかにもいよいよ本格的に歳を重ね始めたのだなあ、と思わずにいられない。 こんなふうにおセンチに20代だの30代だの言っているあいだは「オレたち17歳☆」と言っている青少年と変わりない精神だということも重々承知だが、ぐぐぐっと、「ああ、あんなふうに何もかもを知った風に、でもじつは全てが初めてのことで、目にぐんぐんと色々なものが飛び込んできた、肌で新鮮な空気をばんばん受け取っていた、親しい人と話しをするときにでも、決して自分を預けきって緩めきることはなかった、あの若さは、昇華しつつある、さあ、どうなる」といった過渡のタイミングがきたことを腹の底から知らされている心地。 なんだか関わったすべてのひとに土下座して謝罪したい気持ちと、当時のワンシーンをすべて静止画のなかにおさめてもう動かないでほしい、と妙に神聖化している気持ちがないまぜで、どうにもこうにもお布団にもぐりこんでしまいたい衝動にかられている。 総括。 #
by kaoryann
| 2012-11-22 12:01
| つれづれ
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